※ 2024.8/12訪問
● 千里ニュータウン情報館 ● 千里ニュータウンプラザ2階:2012年開館
いつの間にやら千里ニュータウン情報館なるものが出来てた。どんなところかとHPにアクセスしてみると、しっかりした情報を多くお持ちで過去の企画展も何やら凄みがある。こりゃ今度の企画展『吹田操車場 1923~1984 -近代化六十年の歴史-』(8/6~9/27)も期待が持てそう。阪急電車南千里駅改札出て直ぐ左と、アクセス容易なんもエエやん。
● 『吹田操車場 1923~1984 -近代化六十年の歴史- 』展 ● 無料!
そんな訳で「阪急1dayパス」をしっかり利用し南千里駅までやって来た。『京とれいん 雅洛』をたっぷり大阪梅田駅まで堪能した後なので、現地に着いたら昼ですわ。
大阪梅田1146-1158南千里 7903号車
さていよいよ千里ニュータウン情報館の中へ・・・意外と狭い? 常設展示に加えての企画展なので、スペース的に内容は多くない?(杞憂だった)
見慣れた時代のモノではなく、かなりの年代物の写真が表を飾っている。気合い入ってる!?
* 吹田操車場建設 * 1917~1923年
新聞の地図を見て「オヤッ?」と思ったのだが、北大阪電気鉄道(⇒阪急千里線)の開業前なんやな。
宮原操車場と梅田貨物駅が併行して整備された事が窺える。
地図には吹田駅西方で南へ向きを変える、東海道本線の旧線が描かれている。
* 吹田操車場開業 * 1923~26年
此の規模で大操車場とされた、当時の輸送規模が偲ばれる。まだ9600型や8620型は生まれたてで、輸入機関車が幅を効かせてた真空ブレーキ時代やしな。
次写真はピンボケ、会期中に撮り直さんとな。今度はデジイチで撮ろっと。(左下の事故写真、夜やけどエライ鮮明やな)
今もなお現役の橋梁群はこの頃の建設らしい。
次の写真も撮り直し必至。地図には東海道本線の現ルートへの移設後&北大阪電気鉄道開業前の短い間の姿が記録されているが、線路跡は描かないンやな。
* 吹田操車場第二期拡張工事 * 1926~37年
先の図同様、操車場の向きが「東京⇦ ⇨大阪」であることに注意(上が南で下が北)。
室戸台風の災害規模は尋常では無かった。
宮原操車場の図まである。
Ⅳのタイトル写真が無いな。さしずめ「戦時体制下の吹田操車場」かな。
* 復興期の吹田操車場 * 1945~52年
昭和天皇の巡行が大きく取り上げられている、そりゃそうやわな。
吹田操車場での滞在時間は30分。前後のスケジュールと対比してみて長いと見るか短いと見るか。
カーリターダーは画期的な存在やったみたいやね。
* 高度成長期の吹田操車場 * 1953~65年
貨車で満杯の光景が見られるようになる。
* 吹田操車場改良工事 * 1965~74年
吹操廃止時まで改良工事は継続しており、未完となった高架線路や拡張用地(子供の頃の遊び場!!)が悲しかった。
凄い内容の資料に圧倒される。
この内容で略図とは。㉙の重厚な木造建屋は後年まで残存しており、解体時には某サイトの掲示板が賑やかになった。
2段目の青刷りは次写真の最下段と同じモノのようだ。個別のアップ写真は会期が過ぎたらUPするつもり。大きな操車場図だが大きく描かれているわけでは無く、操車場が広いから大きな図となっている。近寄って見ないと文字は判別出来ない。
左下が配布されていたパンフレット。此れも会期が過ぎたらUPするつもり。上・中段の作業図も一級品の資料では無かろうか。
“すいてつ” が撮った写真。岸辺駅の目の前にある吹田操車場駅本部と、地下道内から分岐する吹田操車場駅入口(通路は現存)にあった駅名標(?)。吹操廃止直前の頃。
写真の下側はもっと古い時代。DD51初期車やEF601ツ目機が懐かしい。後ろの建屋が上記の㉙木造建屋。解体中の様子は次写真で。(2015.10/18撮影:メロード吹田エレベーターより)
右下のモハ52は、展示当初は屋根が無かった。
甲種輸送は平日なので、結局撮ること叶わずだった。それ以前に情報が無かったけど。
正雀工場と隣の工場との間の水路に小橋が架かってて、工場跡地が商業施設化する寸前まで残ってたはず。確か3線構造だった。
* OJゲージ * 8/10の運転会の車輌?
* 吹繰関係書物類 * レコードは鉄道関係の唄
今後撮り直す写真や詳細写真、常設展示(千里ニュータウン関係)類は会期後にボチボチUPするつもり。
会場では構内作業掛(連結手)をされていた元国鉄職員が観覧されており、貴重なお話(命にかかわる内容!)を伺うことも出来た。このお話も含め後日改稿し、長くなった記事も分割する予定。
次篇に続く ⇒