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● 松原線 ● 西の里の西福寺
今度のバスは福鉄バス。最初に乗った山公文名線は敦賀の街を南へ抜ける路線だったが、今度の松原線は西へ抜ける路線。
・敦賀1640ー1708沓見
井の口川を渡ると郊外。西福寺附近は落ち着いた里。
存在感のある西福寺。垂れ幕の掛かったお寺と云うのも珍しい「祝 重要文化財指定」。
西福寺の停留所は上写真の枠外左にある。西福寺から南下した終点沓見は住宅地と化した集落の外れ。最大の乗客数は “すいてつ” を含め往路3人,復路6人だった。
・沓見1713ー1729気比の松原
● 常宮線 ● うっすら夕染め敦賀湾
乗換時間は8分。素晴らしい松林に見とれている時間は無い。
やって来たバスはこの日初めて見る小型の中型(?)バス。目茶苦茶な写真になってもたけど、行先LEDの記録だけでも。
・気比の松原1737ー1804立石
気比の松原を後にする。海水浴を楽しむにはすでに時刻が遅いせいもあるが、誰もいない。盆を過ぎるとクラゲが出ると云うもんなぁ。道理で街中も道路も空いてるわけだ。 (花城-二村)
敦賀に突き刺さる橋。左は北陸新幹線の高架橋、右は舞鶴若狭道の敦賀衣掛大橋(笙の川橋) 。 (花城-二村)
敦賀湾の中程の狭くなった辺り。向かい岸の中央左附近の凹みが山中越えかな。中腹を横切るのは国道8号線? 峠越えの厳しさが感じられる。 (縄間附近)
生け簀は鯛やフグの養殖らしい。 (手の浦口附近)
山影に入ってしまったが「南国のリゾート」を思わせる水島(北半分)は此処にある。どうもイメージが違うと思ったら以前は鈴ヶ崎トンネルがなくて、その時通った旧道から見下ろした記憶が多分あるため。 (浦底附近)
立石トンネルを通り終点立石停留所に到着。さっきの鈴ヶ崎トンネルと云いやたら立派で新しいなと思ったら「原子力災害制圧道路」として近年整備されたそうな。
対岸を見る。左端:元比田,中央左:杉津扇状地,右端:杉津P.A.の位置関係がよく判る。
立石の集落。既に多くの集落をバスから見てきたが、敦賀は街から離れた小集落も寂れることなく営みが続いていると云う印象がある。立石もその例に漏れない。右奥に折返しを待つバスの姿が見える。
復路のバスが、有り難いことに行先表示を整えてからやって来た。「コミュニティバス」なんて表示があったんや。後ろには弁天岩が見える。奥の案内標識は「立石岬灯台」。
・立石1811-1850敦賀
夕陽に薄く染まった高い雲が山影の海に反射する。水島が浮かび上がる。 (西浦学校前附近)
写真は淡い夕陽に染まった箇所を狙って撮ってるが、実はまだ明るく青空も充分見えている。 (手の浦海水浴場)
生け簀が美しく見えるひと時。 (手の浦附近)
明日の漁を静かに待つ漁船。 (縄間)
乗客数は最大で “すいてつ” 含め4人。最後のバス行脚を終え、回送を見送る。サイドにも「コミュニティバス」の表示がされている。
● おさらい ● 18きっぷ4日目の旅:2023.8/26
・ ・・・・-638米 原 900M
・米 原652-740敦 賀 127M
・敦 賀805-852 山
・ 山 855-930敦 賀
・敦 賀1000-1025元比田
・元比田1035-1055気比神宮
・気比神宮~~徒歩~~敦 賀
・敦 賀1150ー越坂ー1221新保中
・新保中1240-田尻-1307白銀町
・白銀町~~徒歩~~敦 賀
・敦 賀1330ー1358敦 賀
・敦 賀1500ー1537杉 箸
・杉 箸1545ー1618敦 賀
・敦 賀1640ー1708沓 見
・沓 見1713ー1729気比の松原
・気比の松原1737ー1804立 石
・立 石1811-1850敦 賀
・敦 賀1953-2044米 原 142M
・米 原2054ー・・・・
<終>