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◇ ところで何でホーム端に? ◇
一応三脚は持って来たが、普段は持ち歩かない。デジイチ+ズームレンズは手持ちの方が複数画角で撮る等融通が利く(ベストアングルを決められない、とも云う)し、ビデオカメラは磁着が便利。これはラムマウントが投げ売りされているのを発見、不足するパーツを追加購入して組み上げた。 磁着ベースがしっかりしているので、置く場所が平面ならそれだけでも結構安定する。写真の状態。
だが此処は清洲駅のホームの上。三脚にビデオカメラを取付け・・・は許されないので、ホーム端の柵を利用し磁着する。それも無理な時はビデオカメラの上にデジイチを重ねた、重箱撮影も強行するけど。
◇ いや だから 何撮るの? ◇
そう、清洲駅での最終撮影はこれ、凸! 集うファンも “すいてつ” も、動かずに居たのはこのためだった。やはり中京に来たからにはこれを撮らないと。時はダイヤ改正前日、偶然ギリギリのタイミングとなった・・・と云いたいところだが、実は凸は生き残った。DF200の配備が遅れているのか、需要が伸びているからなのかは知らないが、良い方向での生き残りと信じたい。既に凸は最終全検を終えているのだし。 (DD51 1801+DF200-6 8075レ 15:55)
嬉しいことに凸が先頭。非総括なのでDF200の見通しを確保するためと思われる。ところでJR貨物色の凸稼働を撮るのもこれが初めて。長く赤色と思い込んでいたが、原色機と同じ朱色である事は割と最近に教えてもらった。キャブの窓廻りの黒塗装が迫力やなぁ。
◇ 夕光の永和駅 ◇
この後 “すいてつ” は永和駅に向かう。何でも8075レを追い越して撮影出来るんだとか。長岡京の某氏は8075レ撮影後に帰られたが、何から何までお世話になり感謝の念に堪えない。
*清洲1602-1610名古屋1621-1637永和
結局清洲駅にはたった80分しか居なかった。それなのに凄い収穫。さて、関西線は蟹江を過ぎたあたりから周囲が開けるようになり、その広々とした光景の中にあるのが永和駅。ご指導に従って跨線橋に上ってみると、架線の無い中線のスッキリしていること! ホームには数名の撮り鉄がいたが、跨線橋から狙ったのはもう一名のみだった。 (同 16:49)
トリミングして人物を無き者にしてもいいのだが、国鉄時代の面影を強く残すホームが捨て難く、そのままとした。振り返るとやや雲に遮られた陽光が、柔らかくカマ達を包み込んでいる。咄嗟にワンショット!
架線トラスがあるのでこれが一杯々々の画角。こういう情景を目にすると、皆が夕暮れの凸にハマル気持ちが充分に理解できる。
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でもしかし、今は場所取りが酷いんだそうな。なんでも7時間前に陣取るんだとか。「日本海」終焉時のオノワニでも1時間強前に行けば充分だった事を考えると、今は有名撮影地に集中しすぎてるンとちゃう? ネットで手軽に撮影地を探せるようになったのは便利やけど、こういう弊害が出ているのは考えもの。
*永和1701-1717名古屋1730-1840米原1847-・・・
収穫が飛び抜けて多い一日もこれで終わり・・・ではなく、この後地元でシキを夜撮したのは、前々回に述べた通り。
⇒ 弾丸撮影ツアー=mini=6 に続く