気ままな 汽車好き

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帰阪HM<2> いきなり『帰阪』号!

 前篇はこちら ⇒

 川西能勢口 

  能勢電への乗換駅の川西能勢口駅に到着すると、其処に居たのは1755F! いきなりの対面となった。阪急電車の2000系列スタイルを今なお守る能勢電1700系。さて、何処で撮ろう?
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 ところで2000系列は “オートカー” の名でデビューしたそうな。知ってた?

 思い出話 ◇ 能勢電

 一番古い能勢電の記憶は小学校の時の遠足だったか、猪名川橋梁の見事な光景に目を奪われた事。険しい崖が両岸から迫り、ひときわ川幅が狭まった地点に辛うじて掛けられた橋梁、崖にへばり付いてうねりまくる道路と踏切、そして隧道。圧巻だった。(実際の光景以上に印象は強いかもしれない。それに隧道は実際には無かったらしい。)
 撮影で能勢電を訪れた事は一度だけある。昭和59年頃だと思う。Sカーブの駅(滝山?)で朝ラッシュ時の輸送を撮った後、全線乗車した次第。その時の本線電車は500形や610系、支線である日生線は320形だった。なお既に1500形も居たはずだが、旧阪急スタイルの電車達の記憶があまりにも強い。この時の写真(白黒)もそのうち紹介したいが、何時の事になることやら。
 能勢電ではカラーフィルムが普及した頃もまだ木造車が走っていて、鉄道ファン同士の交流の中でその写真を見せて頂いたときの衝撃も凄かった。これらの記録はネット上でも多く公開されている・・・と思いきや、なかなかヒットしないのは何故だろう。

 思い出話 ◇ 阪急電車

  “すいてつ” が阪急千里線と馴染みが深い事は以前記したが、阪急電車を深く知るキッカケとなった予備校時代(!)までは、 “すいてつ” にとっての阪急電車は2000系列とその他の雑多な電車の2種類しか無かった。
 カメラを阪急電車に向けていた頃は、旧阪急スタイルとしては710系と810系が残っていた。丁度2000系列や3300系の冷改に加え字幕改造も始まった時期だったので、デザイン統一後の標識板をコレクションしようとしたのだが、普通|三宮-新開地,普通|梅田-茨木市,普通|梅田-桂,普通|長岡天神河原町,急行|梅田-高槻市,臨急|梅田-桂等が撮れぬまま、阪急沿線を離れる事になってしまった。 

 そんな時代の阪急電車との縁のため、能勢電の1700系(旧阪急2000系)は懐かしく感じてしょうがない。字幕の存在は全く気にならないし、写真で見るときは鬱陶しく感じるスカートも、実車を見るときにはスカート無しの原型姿に脳内変換されてしまう。Rの付いた窓ガラスも健在。あぁ、懐かしや。

 畦野駅 

 だいぶ話が脱線した。能勢電のレールに戻そう。最初に向かったのは畦野駅。木立の中を通り抜けてくる列車がイイ感じ。折角なので他の電車も撮っとこう。この駅で紹介するのは5100系。阪急時代の車番そのままのようだ。外観上は2艇パンタのLED幕車、1艇パンタの従来の幕車とに分かれている。なお4輛編成の従来幕車はこの5108Fのみ。
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 他の4輛編成の字幕はLED。能勢電のLEDは高速点灯らしく、そこそこの高速シャッターでも欠けが出る事は無かった。
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 いよいよ『帰阪』号が到着する。ちょっとHMの位置が高い? 字幕の存在と相俟って5300系みたい?

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 訳あって、1755Fが戻ってくるまでそのまま畦野駅に逗留。

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 阪急千里線100周年HMと似たデザインだが、こっちの方がデザインがハッキリしている。

  動画はこちら ⇒

 多田駅 

 駅南方のSカーブが良さげだったので撮ってみたが、4輛編成を狙うにSカーブが緩やかすぎた。この立ち位置なら後追いの方が良かったかもしれない。

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 なお写真は後篇を含め時系列の順に並んでいるわけでは無い。

 ⇒ 次篇に続く

 しまった カスタムURLを設定し忘れた・・・